日本の古時計/堀田時計

#24 堀田時計
形式 変形頭丸型掛時計
年代 明治後期
製造 堀田時計
文字盤 10インチ
サイズ 高さ:51cm
材質
その他 時打ち、

 この時計アメリカ製のアンソニア社のコピーであり、外観は瓜二つと良く似ている。

 時計を持ってみるとアンソニア製よりも重く、ずっしりと手にくい込んで来る。

 ガラス絵は良く似せてはあるがやはり日本人的な出来である。

 振り子室側面の飾りも、良く見るとアンソニア社製よりもなだらかな造りになっている。

 文字盤はオリジナルであり、堀田のマーク (HO)が綺麗に残っている。

 機械は日本製、全体にはアンソニアよりも材質が良く、又扉なども厚く丈夫に出来ている。

 [堀田時計]

 堀田良助、天保3年(1832)尾張名古屋で誕生する。

 明治7年(1874)、林市兵衛の経営する西浦屋に42歳で入店、時計店の修行に入る。

 明治12年(1879)、5年の修業を終え林時計店を退社、名古屋市下長者町に独立して堀田時計店を開業する。

 林市兵衛の店での修業した時から、将来の展望と自身の年齢を考慮し、時計店の拡大経営にあたる。

 明治16年(1883、下長者町の店舗が手狭になり、名古屋市鉄砲町に新店舗を開業する。8

 時計販売は順調に伸び、販売拡大に他店舗との競い合いを勝ち抜くため色々な販売方法を試みる。

 明治28年(1895)、当時全国に流行っていた建物に時計塔を設置した新店舗を開業、名古屋地域において大型時計店の仲間入りを果たす。

 明治34年(1901)頃、組み立て販売を目指し、アメリカ製のアンソニアの機械を購入し、組み立て販売を開始する。

 この頃は国内需要も伸び悩みであったが、アメリカ製の機械を入れ、舶来志向の高い消費者に組み立て販売の利点を利用して、販売を拡大することに成功する。

 堀田時計の手法は、組み立て販売であるが自社工場を持たず、機械から組み立てまで外注出し、製品のみの販売であった。

 その後、組み立て販売を中止する昭和まで、この手法は続けられたが、機械部門においては外国製から国産の機械に移行している。

 明治42年(1909)、初代堀田良助より2代目堀田良助が経営を引き受け、さらに販売拡大に邁進する。

 大正13年(1924)、3代目堀田良助が経営を引き継ぎ、腕時計部門を拡大して、外国製品の販売拡大に力を注ぐ。

 昭和10年(1935)、4代目堀田両平が経営を引き継ぎ、掛時計部門において名古屋の時計メーカーとの機械受注の拡大をはかる。